久米田先生VS赤松先生のまとめ
「かってに改蔵 」の久米田康治と、「ラブひな」「魔法先生ネギま!」の赤松健の間接的なやりとりをまとめたページ。ヤマカムさん内の1ページです。
★★★☆☆
1998年、週刊少年サンデーで連載中だった久米田康治先生の『かってに改蔵』において、同じく週刊少年マガジンで連載中だった赤松健先生の『ラブひな』をネタにした描写が登場しました。これが、後に「久米田VS赤松」として知られる漫画界の名物対決の始まりでした。
当時、『ラブひな』は爆発的な人気を誇っており、その影響力は他の漫画家たちの間でも無視できないものでした。久米田先生は、その人気作品をパロディの対象として取り上げ、独特のシニカルな視点で描写しました。
『かってに改蔵』での『ラブひな』ネタは、読者の間で大きな反響を呼びました。パロディの対象となった『ラブひな』のファンたちは、久米田先生の描写に対して様々な反応を示しました。中には面白がる人もいれば、不快感を示す人もいました。
この状況に対して、赤松健先生は自身のウェブサイトで反応を示しました。その中で最も有名なのが「く、久米田(呼び捨て)の野郎~、毎週毎週ラブひなネタやりやがって~・・・」という発言です。この言葉は、後に「久米田の野郎」シリーズとして、赤松先生のファンの間で親しまれることになります。
赤松健先生の「久米田の野郎」発言の詳細についてはこちらを参照
赤松先生の「久米田の野郎」発言は、一部のファンの間で誤解を招きました。赤松先生が本気で怒っていると勘違いした読者もいたため、翌日には以下のようなフォローアップコメントを出しています。
「『ラブひな』のH同人誌を買って喜んでいる私が、あんなので怒るタマですか・・・。喜んでるんですよ。超大喜びッス。もっとやって。。>久米田さん」
この発言により、赤松先生が久米田先生のパロディを楽しんでいることが明らかになり、両者のファンの間に奇妙な友情が芽生えました。
しかし、その後しばらくの間、二人の直接的なやり取りは表面化しませんでした。この期間、ファンの間では様々な憶測が飛び交いましたが、実際のところ二人は直接会う機会がなかったようです。
2008年頃から、赤松先生はエイプリルフールの日に久米田先生に関するネタを投稿するようになりました。これは、二人がまだ直接会っていないという事実を逆手に取ったユーモアでした。
例えば、2009年4月1日には以下のようなツイートを投稿しています。
「昨日、久米田先生と初めて会いました。意外と小柄な方でしたね。」
このようなエイプリルフールネタは、ファンの間で大きな話題を呼び、毎年の恒例行事として楽しまれるようになりました。
久米田先生と赤松先生のエイプリルフールネタの詳細はこちらを参照
長年の「対決」の末、2021年7月9日、第44回・45回講談社漫画賞の贈呈式において、ついに久米田先生と赤松先生の直接対面が実現しました。この出来事は、両者のファンの間で「歴史的和解」と呼ばれ、大きな話題となりました。
赤松先生はTwitterで以下のように報告しています。
「約束通り、久米田の野郎を急に後ろから抱きしめ、写真に撮ってきましたよ。(※本人と担当編集から公開許諾済み)久米田先生の超イヤそうな顔ったら。www初めて会ったけど、なかなかニヒルな男じゃねぇか。」
この出来事は、20年以上続いた「対決」に一つの区切りをつけるものとなりました。二人の直接対面は、コロナ禍の影響で前年の講談社漫画賞が中止となり、2年分の審査員が重なったという偶然が重なって実現したものでした。
この「歴史的和解」以降、二人の関係性には変化が見られるようになりました。以前はあくまでも「対決」という形で距離を置いていた二人ですが、直接会ったことで互いへの理解が深まったようです。
赤松先生は後に、「久米田はホントに俺のことが好きだなぁ。でも逆は無いんだからね?。」とツイートしており、二人の関係性がより友好的なものになったことがうかがえます。
この「久米田VS赤松」の物語は、日本の漫画界における独特な文化の一端を示すものとして、多くのファンに愛され続けています。二人の漫画家の個性的な作風と、それを通じた長年の「対決」は、日本のポップカルチャーの中でも特筆すべき現象の一つと言えるでしょう。
今後も、二人の関係性や互いの作品への影響など、ファンにとって興味深い展開が期待されます。「対決」から「和解」へと至った二人の物語は、漫画家同士の関係性や、ファンとの交流の在り方について、多くの示唆を与えてくれるものとなりました。
久米田康治先生と赤松健先生の長年にわたる「戦い」の歴史と、最近の和解の経緯をまとめました。二人の関係性はどのように変化したのでしょうか?